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タイトル
  • マヤ文明の盛衰と環境変動~環境考古学による気候と植生の復元~
作成者
    • ナス, ヒロオ
    • 那須, 浩郎
    • e-Rad 60390704
    • en NASU, Hiroo
内容注記
  • Other application/pdf
  • Abstract マヤ文明は中米ユカタン半島を中心に繁栄した古代文明のひとつである。紀元前(BC)1000年頃から紀元後(AD)1500年頃までのおよそ2500年間継続した。日本の暦では、縄文時代後期から室町時代までに相当する。マヤ文明の特徴は、旧大陸文明の影響を受けずに石器だけで文明社会を築いた点にあり、神殿ピラミッドや漆喰の舗装道路などに見られる高度な建築技術、マヤ文字、ゼロの概念、暦、天文学などを独自に発達させた。この文明の基盤になった生業はトウモロコシの焼畑農耕(ミルパ)であるが、それ以外にもインゲンマメやカボチャ、トウガラシ、カカオ等の多様な栽培植物を持ち合わせ、また同時にクワ科やヤシなどの多様な熱帯雨林の森林資源も利用していた。 マヤ文明の発祥は、先古典期中期(BC1000-400年頃)に遡る。この頃に、季節移動の焼畑農民集団が定住を開始し、神殿ピラミッドが建設されるようになる。先古典期後期(BC400年-AD250年頃)になると、マヤ低地南部で諸都市が発展し、古典期(AD250-800年頃)に繁栄を迎える。ところが、古典期終末期(AD800-1000年頃)には、マヤ文明が一時衰退し、マヤ低地南部の多くの都市が放棄され、マヤ低地北部に移動する。その後は後古典期と呼ばれ、マヤ低地北部で文明が継続するが、最終的には16世紀(1542年頃)のスペイン人の侵略により衰退する。 以上のようなマヤ文明の盛衰の原因、特に古典期マヤの衰退の原因については、これまでに多くの説明が試みられてきた。それには、1)人口増加、2)環境破壊、3)戦争、4)干ばつなどの要因が挙げられているが、いまのところ、どれかひとつの要因ではなく、これらの複合によって衰退したことが多くの研究者の間で一致をみている。このうち、環境破壊と干ばつの影響については、環境考古学の手法により研究が進められている。干ばつの影響については、中米各地の古気候復元結果から、古典期終末期(AD900年頃)に気候の乾燥化があったことが報告されている。しかし、これと同様の乾燥化は、それ以前の先古典期にも見られるし、また地域によって乾燥化の度合いも様々であったことが分かってきた。最近は気候悪化だけでなく、人為的な森林破壊の影響も強く関わっていた可能性が指摘されている。増加する人口を支えるために農地を切り開くとともに、巨大な神殿ピラミッドを建設するための建材や燃料材として、森林を大規模に伐採した可能性がある。 このような背景のもと、私たちは、マヤ低地南部のグアテマラ国セイバル遺跡において環境考古学調査を行っている。今回の講演会では、以上のようなマヤ文明の特徴を概説するとともに、マヤ文明の盛衰に人為的な植生改変がどの程度関わっていたのか、セイバル遺跡から出土する植物種子と木材の分析結果を中心に紹介する。
  • Other 第15回学術講演会:2012年11月3日(祝)10:00~12:00 葉山キャンパス 共通棟2階講義室 講師:那須 浩郎 [生命共生体進化学専攻助教]
出版者 総合研究大学院大学
言語
  • jpn
資源タイプ learning object
出版タイプ AM
資源識別子 URI https://ir.soken.ac.jp/records/3235
関連
  • URI http://researchmap.jp/hiroonasu/ ReaD&Researchmap
  • URI http://www.esb.soken.ac.jp/ 総合研究大学院大学 先導科学研究科・生命共生体進化学専攻
ファイル
コンテンツ更新日時 2023-08-18