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タイトル
  • ja 近代日本美術史のルオー受容-1908年から1958年まで-(1)
作成者
    • ja 後藤, 新治 ja-Kana ゴトウ, シンジ en Goto, Shinji
    • NRID 1000040205597
内容注記
  • Abstract ja 「御主の御パシヨンの御ことを観じ奉らん時は,受け給ふほどの苦痛・逼迫・御恥辱は我故なりと思ひ取り奉るべし。故如何となれば,一切人間のために苦しみを受け死し給ふといへども,ただ我一人のために死し給ふほどの御恩なり。」「御パシヨンの観念」「しかる所に道にてべろうにかといふ水くみにゆきあい,此もの御身にあわれをくわへ,御いたわしやと,御血の汗をぬぐいて,水をさし上,御身いたゞき,悦で飲みたもふ。いかなるものか忝。一度はたすけゑさすべし。さて,其手のぐいに,御すがたうつりければ,水くみも勿体なくとて,さんた-えきれんじやの寺にぞおさめける。」『天地始之事』「光こそ悲劇的(トラヂイク)なれ。/お幸福よ,聾なのだ私は私は最早や一寸した物音さへも聞えない夜の中の私の心臓の鼓動のほかは。」ヂヨルヂユ・ルウオー(花島克己譯)「墓洞(カタコムブ)」「自分は始め,前にかいたやうにルオー好きでなかつた。しかし一度,二科で有島生馬の持つてゐるルオーがマチスやドランと並んでかゝつてゐて少しも遜色がなかつた許りでなく,反つてより深味や強さがあるのを知つて感心した。又その畫が不思議に日本の古い宗教畫を見るやうな味があるのに驚いた。今時に宗教畫がかける人が出てくるとは誰も考へつかないことのやうに思へた。」武者小路實篤「ヂョルヂュ・ルオーの藝術」「[今泉] カソリックの中における精神というようなものが新しい意味で復活するかも知れないし,また繼續するかも知れないけれども,様式としてはドンづまりみたいな氣がする。あそこまで行つてしまうと,禪宗みたいになつてしまいますからね。[岡本] 實際は,キリスト教というのはわれわれにはわからない。神様が出て來ると,もうさつぱりわからない。その點は完全にそうなんです。[富永] 神様というものは…まあよそう。(笑)」今泉篤男・富永惣一・瀧口修造・岡本謙次郎(座談会)「現代繪画の進歩と堕落〈ルオーは復活するか?〉」
出版者 ja 西南学院大学学術研究所 en Seinan Gakuin University Academic Research Institute
日付
    Available2014-09-02 , Issued2006-05
言語
  • jpn
資源タイプ departmental bulletin paper
出版タイプ VoR
資源識別子 URI http://repository.seinan-gu.ac.jp/handle/123456789/367
収録誌情報
    • PISSN 0913-0756
      • ja 西南学院大学国際文化論集
      • 21 1 開始ページ87 終了ページ112
ファイル
コンテンツ更新日時 2023-06-26