一覧に戻る

タイトル
  • ja <研究論文>「二次創作」はいかなる意味で「消費」であるのか : 大塚英志の消費論を中心に
その他のタイトル
  • en Why Was “Nijisōsaku” Called “Shōhi ”? : Focusing on Ōtsuka Eiji’s Consumption Theory
作成者
    • ja 永田, 大輔
主題
  • Other ja 二次創作
  • Other ja 趣味
  • Other ja 生産者
  • Other ja データベース消費
  • Other ja 物語消費
  • Other ja 権利
  • Other ja オタク
  • Other ja 企業
  • Other ja 世界観
  • Other ja 癒し
  • Other en Nijisōsaku (Japanese fan fiction)
  • Other en hobby
  • Other en producer
  • Other en creator
  • Other en database consumption
  • Other en narrative consumption
  • Other en Otaku
  • Other en megacorporation
  • Other en consumer
内容注記
  • Abstract ja 本稿では、批評的な言論の中で二次創作がいかなる文脈において「消費」と呼ばれてきたのかについて議論する。なかでも大塚英志の「物語消費」とそれを引き継いだ東浩紀の「データベース消費」がどのような文脈で論じられるようになったのかを指摘する。とりわけ大塚の議論は東を経由して理解されることが多く、大塚の議論そのものが注目されることは少ない。  これらはオタクというファン集団の「受容の様式」として論じられており、キャラクターに着目するのか、物語の受容の様式にあるのかといった形で議論されてきた。だが、そもそも「二次創作」という「創作」行為が「消費」と語られてきたのはなぜなのか、という問題については議論がなされて来なかった。実際にあるものを作ることが「生産」ではなく「消費」と呼ばれることは自明ではない。また、生計に必要なものを作っていないという意味でそれは「趣味」とも呼ばれうるが、二次創作に関しては「消費」という受動的な概念で呼ばれている。本稿では「物語消費論」において「消費」という語が用いられたことの意味を考察する。  「物語消費」において真に重要なのは、これまで制作と見なされていた行為が消費と見えるような形で、巨大企業の新たな市場戦略が現れてきたということである。それによってただ新しいものを作るだけでは生産活動という送り手側に立つことにはならず、受容者の一部になっているに過ぎないという批判的な意味が込められたものだったのである。東の「データベース消費」も実はその問題系を正確に引き継ぎつつ、もはやそうした「生産者」というものは不可視になり、誰もが受容者(「消費者」)になっているのではないかという意味で議論を展開したのである。その上で両者の論争は「生産者/消費者」という線引きがどこで行われるかを論じるものであったのである。この創作を消費と呼ぶこと、それを納得させることが可能になるような文脈を踏まえた上で、どこで「消費」と「生産」の線を引こうとしているかに個々に着目することがこれらの概念を継承していく上では重要なのである。
出版者 ja 国際日本文化研究センター en International Research Center for Japanese Studies
日付
    Issued2022-10-31
言語
  • jpn
資源タイプ journal article
出版タイプ VoR
資源識別子 DOI https://doi.org/10.15055/00007888 , URI https://nichibun.repo.nii.ac.jp/records/7915
ID
  • JaLC 10.15055/00007888
収録誌情報
    • NCID AN10088118
    • EISSN 24343110
    • PISSN 09150900
      • ja 日本研究 en NIHON KENKYŪ
      • 65 開始ページ321 終了ページ337
ファイル
コンテンツ更新日時 2025-04-08